大谷「早い復帰」に疑問、岩村明憲氏が日本ハム・栗山監督を直撃 「モチベーションと



 日本ハム・大谷翔平投手(22)の“二刀流復帰プラン”が動き出した。左太もも裏肉離れが癒え、打者としては2軍戦出場を経ず6月23日からいきなり1軍の戦列に復帰していたが、6月29日に再び2軍に向かった。投手として7月1日にイースタン・リーグ西武戦(鎌ケ谷)で今季初登板するためだ。かつてヤクルト、米大リーグなどで活躍し現在はBCリーグ・福島ホープスの球団代表兼監督兼選手、夕刊フジにコラム『何苦楚戦記』を連載中の岩村明憲氏(38)が、日本ハムの栗山英樹監督(56)に真意を聞いた。

 僕は野球解説の仕事でヤフオクドームを訪れ、大谷選手の1軍復帰戦となった先月27日のソフトバンク戦を拝見しました。

 大谷選手は8回に代打で登場。80日ぶりの実戦となった打席では空振り三振に倒れ「球は見えていたけど、簡単には結果は出ませんね」と振り返っていました。

 故障明けの選手は試合勘を取り戻すため、まず2軍の試合に出場し、段階を踏んで1軍に戻るケースが多いですが、大谷選手はいきなり1軍で実戦復帰しました。ファンの皆さんの中には「ようやく戻ってきてくれた」と喜んでいる方もいれば「復帰は早いんじゃないか」と心配している方もいると思います。

 僕もその辺が気になり、一緒にプレーしたことはありませんが、ヤクルトの大先輩にあたる栗山監督を直撃。

 すると、「(大谷は)リハビリを続けたことでモチベーションと闘争心が薄くなっている。その辺りを刺激してやりたい。彼は打つだけじゃなく、投手もやる。打席に入ってスイッチが入れば、ピッチングもやりやすいはず」とのお答えを頂きました。

 チームは打率4割の近藤選手が離脱しパ・リーグ5位と低迷。打者として大谷選手の実戦スイッチを入れることで、投手としての調整も促し、苦境からの脱出のキーマンにする狙いなのです。こういうやり方もあるのかと驚きました。

 僕自身は段階を踏ませて復帰させるタイプ。米レイズでの現役時代、2009年に左膝の前十字靭帯を損傷し、大リーグ式のリハビリメニューに添って約2カ月で復帰した経験があるからです。

 当時、リハビリでは分厚いトレーニングメニューを渡されました。電化製品の取り扱説明書のようでしたが、回復度ごとのメニューが細かく書かれ、自分がどの段階にいるのか分かりやすかったのを覚えています。長いメジャーの歴史の中でケガの部位や損傷度、症例が収集、研究されフィードバックされたもので、そのおかげで早期復帰できたと思っています。

 大谷選手の場合、リハビリ担当者や栗山監督との話し合いの結果として今回の復帰に至ったのだから、とにかく頑張ってほしい。そしてこの経験を自分の引き出しに入れて、さらなる飛躍の糧にしてほしいと思います。

 ■7・1 2軍登板へ

 大谷は6月29日、ヤフオクドームでのソフトバンク戦の試合前練習に参加。ブルペンで約40球を投げ込むと、野手としてのベンチ入りメンバーからは外れ、千葉・鎌ケ谷市の2軍施設へ向かった。

 「やってきたことを確認したい」と大谷自身は言葉少な。

 代わりに報道陣に対応した栗山監督は、7月1日の2軍戦で投手として今季初登板させることを明かし、「ボールを投げることはできている。細かいところをチェックしながら前に進む」と話した。オールスター後、同18日からの後半戦で“二刀流”復帰が現実味を帯びてきた。

 栗山監督が岩村氏に明かした通り、打者としてはいきなり1軍に合流させ、代打で2度登場。前日の6月28日のソフトバンク戦では、復帰後初安打の左前適時打も放った。「スイッチを押して」刺激を与えた一方で、投手としては2軍戦登板から段階を踏む、“打者・大谷”と“投手・大谷”を別人格として分けたかのような調整法だ。

 ■岩村明憲(いわむら・あきのり) 1979年2月9日、愛媛県生まれ。宇和島東高から96年ドラフト2位でヤクルト入り。強打・堅守の三塁手として活躍。2006年オフに米デビルレイズ(現レイズ)に移籍、08年のワールドシリーズ進出に貢献。パイレーツ、アスレチックスをへて11年から楽天、13年からヤクルトでプレーし14年限りで退団。15年からBCリーグ・福島ホープスの選手兼任監督。同年オフから球団代表も兼務。日米通算1585安打、209本塁打、打率・284。06、09年にWBC日本代表。右投左打。座右の銘は恩師・中西太氏から授かった「何苦楚(なにくそ)魂」。何事も苦しむ事がいしずえになるという意味。

引用:大谷「早い復帰」に疑問、岩村明憲氏が日本ハム・栗山監督を直撃 「モチベーションと闘争心が薄い…その辺りを刺激したい」


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