大スターになった「未来の阪神・北條」に聞いてみたいこと
【球界ここだけの話】
開幕わずか2試合目。北條に代打が送られた。1カ月前、偉大なるスラッガーだった金本監督に「使わないわけにはいかない。あれで打てなければ気を抜いている証拠」とまで言わしめた若虎が調子を上げられずにシーズンイン。感情を押し殺した表情の裏にあるものは、果たして…。そして、キャンプからの遊撃戦争に後れを取った形の鳥谷の思いは…。
後のスターにも分岐点はある。「あの時、あの競争に負けていたら…」「負けていなかったら…」。時が流れて、振り返って、いろいろ考えさせられてきたものだ。「今、思えば」だけれど。
1993年春のキャンプ。あの時も、遊撃戦争が巻き起こった。その前年、平田勝男(現阪神野手チーフコーチ)や高橋慶彦(前オリックス打撃コーチ)ら実績抜群の猛者を蹴散らして遊撃の定位置を奪い、新人王に輝いたのが久慈照嘉(現阪神内野守備走塁コーチ)。しかし、その打撃が物足りない(確かに久慈は打てなかった)と当時の首脳陣が対抗馬に据えたのが新庄剛志。こちらも前年、ブレークしたプロ4年目で、中堅で美技を連発。にもかかわらず、あえて遊撃で勝負させたのだ。
結論は、意外なほどすぐに出た。キャンプ中に新庄が外野に戻る。後に遊撃と中堅で名手と呼ばれる2人は、こうしてそれぞれの道を邁進する。その後、久慈は「負ける気はしなかった」と語り、新庄は「勝てる気がしなかった」と笑った。変にシーズンまで勝負させていたら、どちらかがつぶれてしまったかもしれない。歴史は少し変わっていた。「今、思えば」。
2017年の遊撃戦争の結論もビックリするぐらいに早かった。鳥谷は実戦で一度も遊撃を守ることなく、「北條」になったのだから。この結論の成否も、今は誰にも分からない。北條が勝ってよかったのか。ひょっとしたら敗れたほうがよかったのか。
北條で印象的だったのは、その直後に行われた川藤OB会長との対談。
「もう、俺がレギュラーやと言え!」
「それはちょっと…」
「言ってしまえ! そのぐらいの気持ちがなくてどうする!」
追い詰められた22歳は機転を効かした。
「開幕前にもう一度、インタビューして下さい。その時に…」
このやり取りで、何となく北條のファンになった。大成して欲しいと心から願った。
北條がモタモタしている間に、オープン戦終盤から今度はドラフト5位ルーキー糸原が“刺客”として挑んできている。
果たして、北條が「今、思えば」と振り返るほどの存在になれるか。もし、そうなったら聞いてみたい。結果的に設定されなかった川藤OB会長との開幕前再インタビュー。「行われていたら、何と答えていたの?」 と。(上田雅昭)